calciaria FOOTBALL COLUMN

calciaria フットボールコラム

そこにあるフットボールが運んでくるたくさんの幸せ

 Jリーグを見続けてもう何年になるでしょうか。
『 J 』 開幕元年からスタジアムへ足を運び続け、気が付くと三十路一歩手前になってしまいました。いや「なってしまった」と言っても別にそんな生活を後悔しているわけでもなく、むしろ 『 J 』 がなかった自分を想像すると恐ろしかったりもするわけです。
 フットボールの世界は広いので、もしかしたら 『 J 』 を見ていなくてもワールドカップなどを契機にフットボールの世界に足を踏み入れていたかもしれません。リーガやプレミア、CLなどを深夜に見ている自分を想像するのは意外と簡単です。けれどもその中に、 『 J 』 がないことをイメージするとゾッします。
 よく言われることですが、プレーの質やレベルだけを言えば海外の方が断然上です。それを否定するつもりはありません。「見る」だけならば、やはり海外のフットボールの方が魅力はあるでしょう。
 でもフットボールは眺めているより、「参加」するほうが断然楽しいものだと思います。
 スタジアムの内外で騒いで唄って踊って。一つのボールを中心に多くの人たちと気持ちを共有する。それがフットボールの醍醐味でもあります。
 しかしながら海外のフットボールに参加することはそうたやすいことではありません。高いお金を出し、重い荷物を背負って。苦労相応の喜びはあるでしょうが、敷居の高い参加になってしまいます。
 労働者階級者のためのスポーツだったフットボールは、もともとそんな敷居の高い物ではないはずです。誰でも自由に気軽に参加でき、日々の生活に潤いや充実感を与えてくれる。 『 J 』 はそんなフットボールが持つ本来の魅力を教えてくれます。
 友人や家族と向かうスタジアムへの路はいつもフットボール談義に花が咲き、一人で歩く時には想像の世界にどっぷり浸り、席に座ってからは愛するクラブのことでさらに話を膨らませ、試合中はボールの行方に一喜一憂。ゲームが終われば結果に喜んだり、悲しんだり、時に怒ったりしながら帰路に着いたり、そのままバーへ駆け込んだり。
 時に心から震えるほど感動するゲームに出会ったり、時に「金を返せ」と怒鳴りたくなるようなひどいゲームに出くわしたり。時にはフットサルなどで、自らが愛するクラブの一員になったような錯覚を覚えながら。お酒を飲んではフットボール。ご飯を食べればフットボール。友人、家族と一緒にフットボール。仲間が集まればフットボール。
 そこ、手の届くすぐそこにあるフットボールが山のような楽しみをぼくたちに運んでくるのです。だからもっと多くの人に『おらが街のフットボール』に参加して幸せを授受して欲しい。そしてもらった幸せの分だけもっともっと『おらが街のフットボール』を愛して欲しい。そう願います。
 夕暮れのとばりゲームの終わったスタジアムの外で、いい年こいた大人たちでが地べたに座り、カップラーメンをすすりながら夜遅くまで仲間たちとフットボールの話をしていたことがあります。その時に心底感じた何とも言葉に出来ない最高に幸せな空気感。それがcalciaria、カルチャリアを作る原点にもなりました。
 これからも身近なフットボールが運んでくる幸せな空気を、みなさんにお伝えできればいいな、なんて最後はきっちりcalciariaの宣伝で締めてみたり。
 calciaria 代表

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